明治神宮奉納 日本古武道大会

明治神宮奉納 日本古武道大会

~明治神宮 秋の大祭~

毎年、11月1日~3日開催の明治神宮で催される秋の大祭は、一年で最も重要な祭礼のひとつです。3日間通して、郷土芸能や能・狂言、邦楽邦舞などが奉納されるほか、明治天皇の生誕日である11月3日には、柔道、合気道、弓道をはじめとした各種武道演武、流鏑馬、また、古武道の各流派による「日本古武道大会」も奉納行事として盛大に行われています。秋の大祭での古武術奉納は、明治神宮が創建された大正9年(1920年)の11月1~3日の鎮座祭において大日本武徳会が古武術を奉納して以来の伝統があります。

明治神宮と文化の日

明治神宮は、東京都渋谷区にある日本有数の大きな神社です。大正9年に創建され、明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。約70万平方メートルの広さを誇り、大鳥居から一歩足を踏み入れると、全国から寄贈された約12万本の常緑広葉樹に囲まれ、都心にいることを忘れさせてくれる緑豊かな神聖な空間です。明治神宮のすぐ隣に位置する代々木公園は、東京ドーム11個分の広さがあり、週末になると、若者や家族連れで大変賑わっています。

秋の大祭当日の明治神宮

秋の大祭当日の明治神宮

明治神宮内には、明治神宮御鎮座50周年を記念して1973年10月に建てらた「至誠館」という道場があります。東京で最も有名な道場としても知られ、1993年から2009年まで鹿島神流の稲葉稔師範が館長を務められていた(現在は名誉師範)道場でもあります。現在も、柔道科、剣道科、弓道科および、合気道、鹿島の太刀をあわせた武道研修科など、各武道の師範により毎日稽古が行われています。また、道場に隣接する弓道場は、大変美しく、一年を通じて、様々な大会が催されています。

至誠館道場

至誠館道場

さて、秋の大祭が行わている11月3日は、「文化の日」と呼ばれる国民の休日です。この日は、明治天皇の生誕日でもあり、世界で初めて戦争放棄を憲法で宣言した日でもあります。「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」という趣旨のもと、全国各地で文化勲章の授与や文化功労賞の表彰、芸術祭の開催のほか、博物館・美術館の無料公開なども行われています。

明治神宮の西参道芝地では、この11月3日に奉納演武として、日本古武道振興会による「日本古武道大会」が行われています。日本古武道振興会は、古武道の保存振興を目的に現存する80数流派が加盟している日本最古の古武道団体です。この日本古武道振興会と、財団法人日本武道館が中心となる日本古武道協会の二つの団体には、現存する古流流派が加盟し、各団体を主軸に各地で古武道の演武大会などを行っています。

日本各地の神社の記念式典や行事では、神様の前で普段の稽古の成果を見て頂く「奉納演武」が行われることが多くあります。星道youtubeチャンネルでもいくつかの行事の奉納演武をご覧いただけますので、是非、お時間ある時にご覧になってみてください。

明治天皇

それでは、この明治神宮に祀られている明治天皇(1852~1912年)とはどのような人物なのでしょうか。明治天皇といえば、日本の歴史上、広く知られている天皇のひとりですね。その理由を説明するには江戸時代まで歴史を遡りますが、1853年、アメリカのペリーが黒船に乗って浦賀へ来航します。それを機に、江戸幕府の権威は失墜、最終的に尊皇攘夷論が高まり、その後、薩摩藩・長州藩が中心となって倒幕・明治維新へと向かっていくわけですが、そんな動乱の中、孝明天皇が35歳という若さで病死、満14歳にして即位したのが明治天皇です。第122代天皇に1867年に即位した後は、同年に江戸幕府最後の将軍となる徳川慶喜からの大政奉還の上奏を勅許するなど、幕末の動乱期の日本を近代国家へと導いた重要な人物です。

明治天皇

明治天皇

明治時代には、四民平等、廃刀令といった政策が次々と打ち出され、武士階級の解体が行われました。そのような政策とは裏腹に、明治天皇は明治維新による近代化や欧化主義のもとに衰退の道を歩んでいた武道を、「軍人勅諭」や数多くの「御製」を通じて、武士道の大切さを国民に伝えようと努めました。侍の武道を現代武道へと変えていこうとしたその功績が、現代の武道家からも愛されている所以かもしれません。

その後は柔道の創始者でもある嘉納治五郎先生の功績もあり、それまでの戦術としての「武術」が教育としての「武道」に生まれ変わりました。20世紀における武道の変遷については、数ヶ月前に公開した武道学者のAlexander Bennett(アレクサンダー・ベネット)氏のインタビューでも語られています。是非、興味のある方はご覧になってみて下さい。

古武道大会について

話は明治神宮の秋の大祭に戻りますが、毎年、西参道芝地で行われる国内最大級の日本古武道大会には、全国各地から約60近くの古武道流派が集まり、古くから伝わる技法を披露します。そのすぐ脇には、流鏑馬会場があり、演武の合間に流鏑馬の公式練習の様子も見ることができます。残念なことに、毎年、流鏑馬演武と古武道大会が同時で行われていることから、流鏑馬の動画を収録することができませんでした。来年度はカメラ機材を増やし、流鏑馬の様子も撮影したいと思っています。

演武前に練習する学生

演武前に練習する学生

10時、武田流法螺貝術の勇壮な響きとともに日本古武道大会の開会です。第一会場、第2会場の2会場において、約10分ずつ、各流派の演武が披露されます。他の古武道の演武イベントに比べると演武の時間も長く、見応え十分です。香取神道流や柳生新陰流などは複数の流派によって演武されており、流派ごとに若干異なる動きや技法なども間近で拝むことができます。そして、16時には大会の締めくくりとして、日本伝統の迫力のある砲術の演武があり、今年の古武道大会が閉会となりました。

その後は柔道の創始者でもある嘉納治五郎先生の功績もあり、それまでの戦術としての「武術」が教育としての「武道」に生まれ変わりました。20世紀における武道の変遷については、数ヶ月前に公開した武道学者のAlexander Bennett(アレクサンダー・ベネット)氏のインタビューでも語られています。是非、興味のある方はご覧になってみて下さい。

柳生心眼流

柳生心眼流

今回の古武道大会では、1会場に1台ずつカメラを配置し(Panasonic製のGH4/GH5)、参加流派のほとんどの演武を撮影することができました。 全ての演武が高画質でご覧いただけるようにフルHDで公開しています。細かな動きを捉えるのに随所ををスローモーションに加工するなど編集にも工夫を凝らしています。(残念ながら、スロー加工はGH5のカメラだけの機能だけなので、一つの会場の演武のみの加工となっています。)

*Youtubeプレイリスト:「明治神宮 古武道演武大会2018」

鎧から袴まで

年に一度の明治神宮大祭の古武道大会には、毎年、会場を囲むように観客も大勢います。いい位置で演武を見るなら開会前から会場にいくことをお勧めします。全国各地にある古武道流派の演武を、これだけ間近で見ることができる数少ない機会です。今年は、演武者の年齢層も高段の方から学生まで幅広く、着実に次世代に技術が継承されているなと感じました

香取神道流

香取神道流

古武道大会で印象に残ったのは、もちろん武道だけはありません。私達が普段の稽古で身につけている道衣や袴とは異なる、流派それぞれの特徴的な道衣や袴も大変興味深いものがありました。中には、江戸時代まで使用されていた武士の荘厳な鎧をまとった剣術流派などもありました。もちろん、これらは当時の鎧を日本の職人によって忠実に再現されたレプリカに過ぎませんが、実際に稽古で使用されているということもあり、消耗された感じがまるで本物であるかのように感じさせます。

鎧を装着した演武では、どれだけの素早さでその細かな動きをしているのかを見るのも興味深く、また、鎧の弱点部分である継ぎ目を狙った技の精巧さに着眼したり、鎧を貫通させるような技の強さなどを想像したりしながら見ることも大変面白みがあります。まさに見取り稽古ですね。

また、鎧、防具を装備した状態での技法に重点をおく柳生心眼流や尾張貫流のように、各流派を前後で比較しながら見ることで、なぜ、流派ごとにそれぞれ技法やスタイルが発展し、確立していったのかの理解を深めることができました。

柳生心眼流

柳生心眼流

砲術による閉会式

日本古武道大会の締めくくりとして、日本伝統の砲術を伝承する流派、森重流砲術の演武がありました。砲術の演武は、隣で開催している流鏑馬の馬が大きな音で驚いてしまうことを避けるため、流鏑馬が終了してからの演武になります。多くの観客が静まり返り注目する中で、火縄銃の空砲が明治神宮の広い境内に響く轟音がこだまし、本当に素晴らしいフィナーレで今年の古武道大会の幕が閉じました。

大会最後を飾る森重流砲術

大会最後を飾る森重流砲術

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